歴史と名水

名水の宿のいわれ
吉田屋が尾張の地から郡上八幡に移り料理屋を開業したのは明治13年(1880年)のことです。
小座敷でちょっとした旬の味覚と酒を楽しむ代金は茶代も含めて15銭から25銭。米が1升9銭の時代でした。そして郡上の人々に初めてうなぎの味を伝えました。
その後現在の地、郡上藩家老小野孫兵衛屋敷跡に移り構えを広げて旅館をはじめます。家老屋敷の遺構を残すものとして中庭の石組や美濃錦店内の井戸があります。
この井戸は日本名水百選のひとつである宗祇水と同じ水脈でつながっているといわれ、年間を通して水温は一定。吉田屋で料理される鮎やうなぎは汲み上げたこの水で生け簀飼いされてそのおいしさを増すのです。
また吉田屋では創業以来良質の地下水は料理には欠かせないという教えから、万が一に備えて代々ひとつずつ井戸を掘ることを家訓としてきました。現在敷地内には3本の井戸があり料理を作る厨房から客室、お風呂にいたるまで全館でこれらの豊富な天然地下水が利用されています。吉田屋が名水の宿と云われる由縁です。「うなぎも鮎も身が締まりますしだしは旨味がよく出ます。」と主人。「それにお部屋に飾る花も長持ちするし。お茶の色だって違います。」とこちらは女将の弁です。
北大路魯山人と吉田屋

吉田屋にはかつて「みたたき」という冬の珍味がありました。全山紅葉の奥美濃の山々で獲れたツグミをその名のとおり身も骨も丹念に石の上でくだいて郡上の地溜りに漬け込む、という調理などというには程遠い原始的なもので、鎌倉時代の文献に「身叩」の名が見られることから、古くから冬の貴重な保存食として雪深いこの地に伝えられたものと考えられます。
ツグミの捕獲が禁じられてから、その製造は無くなりましたが、以前は郡上八幡のどの料理屋でも、夏の「鮎うるか」と並ぶ郡上の珍味として冬の酒席には必ずといってよいほど付いたものでした。
大正4年、石川県山代温泉に滞在していた北大路魯山人は、茶人趣味人として交遊のあった郡上八幡の斎藤家先代主人(現在の斎藤美術館主の御祖父)に奨められて、この「みたたき」を賞味し、その後、魯山人(当時は魯卿と名のっておいででした。)と当館に親交がうまれました。
やがて魯山人は、東京で主催する「美食倶楽部」の全国特選珍味の一つにこの「みたたき」を取りあげて、大正10年のころにはたびたび当館より発送した記録があります。
今では姿を消した幻の珍味ともいえるこの「みたたき」ですが、綿々と続いてきたこうした食の文化を伝承していくことも、私どもの一つの使命として考え、禁鳥以外の材料で試作を続けてはおりますが、なかなか思うにまかせず、いつの日か当館の献立の中にこの「みたたき」が再登場する時がまいりましたら、その時は皆様にこのウェブサイトでお知らせしようと思っております。